サクラスはなぜメンバーの半分がインターンでも成立するのか

サクラスって変な会社だ

入社して1年ほど経つが、まだその新鮮さは褪せない。

社員は1人だし、インターンだらけだし、それでいて社会人・学生問わずとびきり優秀な人たちが集まってくる。

その人たちは何に惹かれて入社するのか、そしてそもそもなぜこの仕組みで成立するのか、心理学の成人発達理論の視点から分析したいと思う。  


メンバーの自律性について

サクラスで仕事をしていて、メンバーの共通点として最初に挙げるとすれば自律性だろう。

案件受注の時は複数の選択肢から選ばせてもらえたり、担当者の決まっていない案件に手を挙げたりすることもできる。 また業務の取り組み方に関して、リモートワークということもあり時間・場所を一切指定されないことに始まり、要件を満たせばやり方には干渉されないという自由がある。 

裏を返せばほぼ自分で考えて、(どこを相談するかも含めて)自分で意思決定するという大変さがあるわけだが、それ自体を楽しめる人たちがサクラスには多いのだ。


成人発達の3つの段階

発達心理学者のロバート・キーガンによると成人には3つの知性の段階があるという。さまざまな説明の仕方があるが、私なりに思い切ってまとめるとこうなる。 

(1)環境順応型…受動

(2)自己主導型…能動

(3)自己変容型…受動と能動の調和

横軸は「時間」ではない気がする。少なくとも年齢ではない。
「乗り越えて来た修羅場の数とバリエーション」とかだと思う。


発達の仕方の一例を簡潔に示すと、

まずは無力な状態で生まれた赤ん坊から育っていくにつれ、生きやすくするために自己中心的な欲求を抑えて周囲のニーズに応えることを学ぶ。(環境順応型

次に周りの大人(特に親や先生や上司)の意見に振り回され、それが絶対的なものでないことに気づく。その後幾度かの反発を繰り返すが、その行為の虚無感を本当の意味で直視できた場合に他人軸への創造的絶望を味わい、自分の内側にある価値観と向き合い始める。(自己主導型

受け身だった頃の自分を否定して能動に振り切っている間は、大多数を占める受け身の人とはうまくいかない。そこで過去の自分を受容して思考と感情を調和させ、「なるようになるさ」という無我の境地に至る。(自己変容型


仕事のシーンに置き換えると、モチベーションの時点でこれらは違っていて、環境順応型は義務感で動き、自己主導型は責任感で動き、自己変容型は使命感で動く。

「義務感」というと言葉は強いようだが、要するに環境順応型は義務だと言い渡されるまでやらないのである。 

対して自己主導型は、自分の責任だと自覚した時に初めて動く。この責任に関しては"自発性"が重要で、自分の仕事が何に資するのかについて能動的に考えており、先が視えていることが特徴だ。混同しがちな”負わされる”方の責任は環境順応型の原動力であり、ここには当てはまらない。

そして3つ目の自己変容型は、極論”生きている限りやる”のである。自分の生きる意味と仕事がムリなく紐づいており、やる気という軸が消えマネジメントが必要ない状態だ。とはいえ生きがいは他にも色々あるので、仕事に没頭こそすれ依存することはない。

サクラスメンバーは基本的には自己主導型くらいまで発達している人で構成されているように思う。


自己主導型組織としてのサクラスの運営体制

採用の狭き門

サクラスのメンバーは学歴で言うと国内トップ級大学の出身者や在学者が多い。

厳密には、高学歴の人はそれまで学校という環境での適応能力が高いことを己の価値として発揮してきた、そのプライドが自己主導型知性に移行する時の足枷になることも多い。しかし、日本の義務教育を受けてきた人の中で主導型に移行できるポテンシャルが高いのも、また高学歴の人たちなのである。メタ認知能力の素養という点でロジックに強いことは有利に働く。 

また、社内教育により受動から能動への発達を促すのは難しいので、サクラスでは採用の時点で高い基準を設けているのだろう。


信頼の文化

自律性のところでも書いたが、サクラスは「結果が出ていれば、やり方は尊重される」という側面があり、人間関係的にもさっぱりしているように思う。代表が何よりも先に信頼を差し出してくれるところに端を発して、社内全体に「まずは信頼して任せる」という風潮が形成されている。 

社内表彰されるような結果を残したインターン生のインタビューを通して分かったことがある。彼・彼女らは「信頼されている」という安心感とワクワク感により主導型への最後のストッパーが外れてのびのびと仕事に打ち込み、それが結果にも繋がっているということだった。 

(※そのインターン生たちは、趣味など仕事とは別のコミュニティで主導型知性を発揮できる人だったことは前提にある)


サクラスの今後

これに関しては代表の一存なので、いちインターンの妄想を書き綴ることになるという注意書きを済ませて。

結局は自己変容型の人材が増えていくことになるのだと思う。どこに行っても何をやっても仕事になる人。もはや「仕事をしている(Doing)」というより「(自然現象として)自分の周りで仕事が起きている(Being)」という方が実感に近い。

勉強をしていると「わかる」と「できる」の違いを思い知らされるが、その先に「作れる」が待っていることに程なく気づく。新しい問題を作る人や美しい別解を生み出す人がそうだ。

その文脈に照らせば、将来的にサクラスで仕事ができる人が進化してその気になればサクラスを作れる人が構成員にいてくれるといいな、なんて思ってしまうのである。実際すでにそういう取り組みは始まっているし。 

これは淡い夢物語というよりは、中長期的にはそうならざるを得ないのではないかと考えている。きっかけはAIさんの台頭である。


成人発達3段階と思考パターンを重ねてみると、

(1)環境順応型…ロジカル思考(演繹的な問題解決)

(2)自己主導型…デザイン思考(個別最適な問題解決)

(3)自己変容型…アート思考(問題発見) 

となる。 


 最近の生成AIはかなりロジカル・デザイン思考まで食ってきていて、人間に残された仕事はアート的なものと肉体的なものに限られていくように思う。

(仕事を食われるというよりはやらなくて済むので個人的には超ハッピーなのだけれど。) 

アートと身体性の中間的な立ち位置にあるのが、「在り方(Being)」を扱う仕事である。その仕事に形こそないが、例えば私はコーチングという枠組みで携わってみたいと思う。

それは目を逸らしても生きていくのには全く困らない領域であり、人生の課題に徹底的に向き合う作業であり、親→自分の教育と自分→子の教育における「生きづらさ」という尺度での本質的差分である。

つまり与えられなかったものに囚われ続けることから卒業し、そんな中でも与えられた何かを使って自らを満たしていく営みが、新たな仕事の在り方になることを願っているのである。


とまあ、過ぎた妄想はこのくらいで。 

サクラスに自己変容型の仲間が増えるのかこのままなのか、のほほんと見守る今日この頃である。


(文/石津 悠人=東京大学 理学部 生物学科 4年)


サクラス・インターン通信

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